私とアジャイルとの出会い(1)

私がアジャイル開発を初めて知ったのは2001年頃、職場においてあった日経コンピュータの記事を見たときでした。

日経コンピュータ 2001/06/04号
特集 究極のソフトウェア開発 エクストリーム・ 誌上体験
http://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/20010604/NC0523H_421523a.html

そのころ私は初めてのプロジェクト・リーダーを任され、カットオーバーを終えた直後でした。この本に出会ったタイミングは本当に絶妙でした。

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やり直せない設計

そのプロジェクトは、典型的なウォーターフォール型の開発プロセスを採用していました。
私がリーダーに任命されたのは、設計工程が終わってプログラミング工程が始まろうとしていた頃です。それまでは他のプロジェクトで開発を行っていて、前任のリーダーからプロジェクトを引き継ぐことになりました。
これまでリーダーをしている先輩たちの姿に憧れていましたので、当初は「初めてのリーダーだし。頑張るぞ!」と張り切っていたのですが、その後は大変な苦難の道が待っていました。

そのプロジェクト、ひととおり設計書はできていたのですが、他社製プログラムとのインターフェースが十分に設計されていなかったり、エラーが起きた後のリカバリー処理に不十分なところがあったのです。

なんとなく気になるところはあったのですが、時間にも余裕がないことからそのままプログラミングするしかない状況でした。大変だったものの、なんとかプログラミング工程は終わり、他社製プログラムとの結合テストが始まりました。

当然、インターフェース部分の不具合を抱えたままコーディングしていますから、結合テストではバグの連続です。

周囲からは「どうして動かないんだ!設計どおりに作っているのか?」「あなたのところが動かないから我々のテストが進まないんだけど」など厳しい声が飛んで来ます。

私としては「まだ設計に不十分なところがあるので、設計をやり直す時間が欲しい」と言いたかったのですが、ガチガチのウォーターフォールでは、そのような工程など用意されてはいませんでしたし、また私自身も初めてのリーダー経験で、状況をうまく説明できるだけの力もなかったのです。

いつまで経っても動かないプログラム、迫る納期・・・大変なプレッシャーが襲いかかり、身体も心もクタクタになってしまいました。
納期前にはお客様のところに長期出張し、関係者がみんな集まって連日遅くまでプログラム修正に励む毎日・・・まあ、典型的なデスマーチです。

最終的には私の上司やお客様が見るにみかねて、設計が足りない部分の再設計やコードレビューを行う期間を設けてくれました。そのおかげで不具合も解消し、メンバーのみんなの頑張りもあって無事納品にこぎつけることができたのですが、自分としては何もできなかったな、という感覚しかありませんでした。

たまたま日経コンピュータ

なんとか完遂できたプロジェクトではありましたが、私自身はひどく落ち込んでいました。

「自分はもうダメだなあ」「この仕事を続けていくのは無理かも」

と、自信もなくしていましたし、

「ソフトウェア開発とは苦しいもの。これからずっとこの苦しみと付き合っていかないといけないのか・・・」

といった仕事への失望感も広がっていたのです。

いまひとつモチベーションのあがらない日々。ある日休憩がてら会社の雑誌閲覧コーナーに行ったとき、たまたまそこに置いてあった日経コンピュータアジャイルに出会ったのです(主にXPのことについて書いていました)

当時は開発プロセスといえば、ウォーターフォールしか知りませんでしたから、プロジェクトがうまく行かなかったのは「自分に能力がないせい」と考えていました。

でも、アジャイルの「変化を受け入れる」という考え方を知ってからは「設計が不十分だったり仕様変更は普通にあること。それらの変化に柔軟に対応できる方法があるんだ」と強い衝撃を受けたのです。

もしかしたら、この方法を取り入れれば、あんな目に会わなかったかもしれない。
この業界も捨てたものじゃないんじゃないか・・・。

私の中に、一筋の希望が見えてきた瞬間でした。

もし、会社に日経コンピュータを置いてなかったら、私はこの業界にいなかったかもしれないです。
オフィスには雑誌コーナーを設けましょうね(笑)

できるところからやってみよう

それからは「なんとか、このアジャイルの要素を開発業務に取り入れられないか?」が私のテーマとなってきました。

お客様との契約の関係もあって、ウォーターフォールというプロセスそのものを変えることは難しいですが、アジャイルの要素をうまく取り入れて、現状を少しでもよくすることができるかもしれない、という考えはありました。

「すべてを一気に変える事はできないけれど、できるところからやっていこう」

数年後、私は再び新しいプロジェクトを任されることになりました。
3人の小さなプロジェクト、私の他は入社して間のない若い子が2人です。
まだまだ技術も経験も十分とは言えない体制で、苦労は目に見えていました。周りの人たちも心配しています。

でも、私には不思議な勝算がありました。

「若くて真っ白な子たちと一緒なら、やりたいことができるかもしれない」

最初のプロジェクトミーティング、私は彼らに言いました。


「これから毎日、朝会をやろう」


〜つづく〜

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